#45.
私がバイトを始めて早一ヶ月半、
私は1人のお客さんに少し困惑を抱えていた。
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「ねえ、そろそろ連絡先教えてくれても良くない?おれ、毎日通ってるんだけど?」
同じビルで働くと言ってるこの人は毎日ランチタイムに食べにくる常連。
私がバイトを始めた時からいて、
最初は優しくて接客中も世間話をしてくれたり楽しかったんだけど・・・
ここ最近はやたらと連絡先を聞いてくることが多くて困っている。
連絡先なんて教えちゃえば良いけど、
そのあともしつこそうだから教えたくない。
それに私は毎日通って欲しいとは頼んでないーーー。
「いやぁ、店長にバレたら首ですし。」
「だってはなちゃん、全然連絡くれないじゃん笑」
何度も名刺をもらっては連絡ちょうだいと言われ、
そのまま流している自分ーーー。
どうしたら良いんだろう、
と毎日今それについて悩んでいる。
下手に冷たくしたら怖そうだし、
逆に優しくしすぎても逆効果な気がして難しい。
距離感が分からない・・・。
私だけなのか、
ホールの女子たちにみんなにしているのかも分からない。
毎回そのやり取りで、
それ以外に何かをされたわけじゃないから、
その場だけ避ければなんとかなるって私は思ってる。
・
そして日曜日、
今日は樹先輩と久しぶりに外でデートの日だ。
週末のどちらかは必ず会うようにしてくれているから私もバイト入れていない。
今日は動物園と水族館と悩んだ挙句、
残暑がまだ暑いからと水族館になった。
大きな水槽に群れ流れるお魚たち、
お母さんにくっついて泳ぐ赤ちゃん魚。
暗い水槽の中で光り輝いてるクラゲの美しさ。
子供達が食いついていたカクレクマノミ。
全てが感動そのもので、
何よりも感動したのは飼育員さんの指示通りに演技を披露するイルカのショー。
音楽に奏でて大きなジャンプや、
水しぶき、
お客さんの笑いまでとるイルカたちに本当に感動した。
そして水槽の中で食べるランチは異空間そのものだった。
まるで自分が水槽の中にいるみたいーーー。
その中で食べる水槽をイメージした青色のシーフードカレーは食が進まなかったけどすごく美味しかった。
「あれ?樹じゃない?」
最後のデザートを頼もうかとメニューを2人で見ている時に上から落ち着いた女性の声が落ちて来た。
「げっ・・・何でいんだよ。」
「何でって、私だって来るわよ(笑)」
ーーー一目見た瞬間に分かった、
樹先輩の元カノの里奈さんだって。
相変わらず細くてショートがとても似合う女性、
そしてほんのり香った香水は先日樹先輩からも匂った同じものだったーーー。
「そっ。なら早く帰れよ(笑)」
2人の会話から、仲の良さが感じ取れる。
「言われなくても帰りますよ(笑)ーーーまた連絡するわ、じゃあね。」
彼女はそう言ってポンッと慣れてるように先輩の方に手を乗せて立ち去った。
ハイハイ、と迷惑そうにしてる先輩も満更ではなかった。
「次、どこ行こうかーーー。」
先輩は何事もなかったかのように話して来た。
でも、私はもうそんな気分じゃなくて・・・
この一瞬の出来事で天国から地獄に落とされた気分だった。
「この前、私が先輩の家にお邪魔した日・・・里奈さんと会っていましたか?」
私の問いかけに先輩は顔を上げた。
「里奈と面識あるのか?」
私が彼女が里奈さんだと知ってることに驚いていたけど、
高校の文化祭でも見たし大学見学の時も見たーーー。
忘れないよ、好きな人の好きだった人だもん。
「・・・私の質問に答えてください。彼女と会っていましたか?」
「会ってたよ。」
先輩は弁解もせず素直に答えた。
「そっかぁ・・・今日はありがとうございました。」
私は自分の分の代金をテーブルに置いて、
お店を出た。
「話を聞け・・ーーー」
そんな先輩の言葉は私の耳には届かなかった。
ーーー私に復縁を申し込んでくれた10月、
先輩は連絡を取ってないと言った。
それが嘘だったのかもしれないなぁと思うと自分の信じやすさに笑いが起きた。
・
「ーーーもしもし」
その夜、私は先輩から着信を受けた。
無視する手も考えたけど良くないと思って出た。
「今、外にいる。少し出て来れないか?」
「・・・分かりました。」
悩んだけど、きちんと話さないと解決しないことわかってるから私は会う判断をした。
外に出ると車の前に立つ先輩の姿があった。
私を助手席に乗せた先輩、
向かってるのはどうやら先輩の家の方だった。
「ゆっくり話したほうが良いと思って自宅にした。帰りはきちんと送るからーーー。」
ソファに座り、先輩は私にお茶を出しながら言った。
「わざわざすいません・・・」
「ーーー里奈とは・・・彼女と会っていたのを言わなかったのは柊が不安になると思ったからだ。別にやましいことをしていたわけじゃない、ただ食事を一緒にしただけだ。」
「昔付き合っていた人と食事するのは普通のことなんですか?」
「オレは別れても男女の友情は成り立つと思ってる。もともと仲の良い先輩・・・」
「それは今でも好きだから、ですよね?」
「それは違う。彼女も結婚して子供もいるし、オレも好きじゃなかったら柊とは付き合ってない。」
「でも私が不安になるのを知っててご飯に行ったってことは私より彼女が大切ってことですよね?この前、先に進みたいって先輩に言ったけど・・・先輩が私を抱かない理由が分かりました。」
「ーーーなに?」
「里奈さんのことを今でも忘れてないから。彼女以上に好きになれないから先に進めないんですよ。自覚してないけど、そうなんです。」
「柊にオレの気持ちがわかるわけ?」
「分かりますよ!ずーと先輩のこと見て来たもん。でも先輩は私の気持ち見て見ぬふりばっかり!」
「そんなに先に進むのって大事か?今ある瞬間の方が大切なんじゃねーの?オレは柊とたくさん出かけてお前のことをもっと知りたいと思った、もっと心を開いてほしいと思ったよ。須永といる時のお前は素の自分でオレといる時はまだ緊張して敬語なんだよ・・・それが気に食わなかった。だったらもっと心を開いてもらってから先に進もうって思った。」
「私のせいだって言ってるんですか?私に傷があるから、里奈さんへの罪悪感で抱けないのが本音でしょ?」
お互いにいつのまにか感情的になって、
ヒートアップしてしまった・・・ーーー。
「だったら・・・抱いてやるよ。」
「えっ・・・」
「そんなに抱いて欲しいなら抱いてやるよ。ほら、来いよ。」
先輩は私の腕を引っ張って、
寝室のベットに放り投げた。
ドスンという跳ね返る音と共に振動で肩に痛みを感じた。
そんなのお構いなしで先輩は私に強引で強いキスをした。
ーーーこんな冷酷で冷たいキスは初めてだった。
「やめて下さい・・・」
「はっ?抱いて欲しいんだろ?」
私のワンピースのボタンを簡単に取り外した先輩、
これだけで慣れていることが証明されたよね。
ワンピースを脱げば下着からも目立つ私の傷ーーー、
私は両手でそれを隠した。
先輩とのキスが嬉しいはずなのに痛いーー、
苦しいーーー。
涙を堪えきれずこぼすのを放置する私、
先輩に火をつけたのは自分なのに止められない自分に後悔しかなかった。
私の両手を強引に自分の手の中に押さえつけた先輩、
傷を見た瞬間にハッとしたように私を見下ろした。
「ーーー悪い、強引だった・・・。これで分かっただろ?男に抱かれるってこういうことなんだよ。柊の初体験はもっと大切にして欲しいんだよ、初体験をもらうって男には正直重いんだよ・・・それだけ大事だってことだ。」
先輩はバツが悪そうに私のワンピースを元に戻して着せてくれた。
私はただ涙を流すだけだったーーー・・・。
「ーーー送るから、落ち着いたらリビングに来て。」
すぐに気持ちを落ち着かせ、
私は先輩の車に乗った。
家にお邪魔する時も普段より会話はなかったけど、
帰りはそれ以上に会話がなかった。
「送ってくださってありがとうございました。」
私は車から降りてそう伝えた。
「ーーーまた来週、どこ行きたいか考えておいて。」
先輩は何事もなかったように窓を開けて運転席から私に言った。
次に会う時はどんな顔をして会うのだろうか・・・。
何もなかったようにして会うのだろうかーーー。
でもね、私はもうお腹いっぱい・・・ーーー。
だから私は首を横に振った。
「もう大丈夫です・・・」
「えっ?」
「もう会わなくて大丈夫です。」
私は先輩に深々とお辞儀をしておばあちゃんの家に入った。
「柊!」
その声を聞こえないふりをしたーーー。
今はーーー・・・
今は先輩のことが信用できない。
一緒にいても不安ばかりで楽しめないし、
向こうに楽しさをも与えられない。
・
あまり寝れなかった私は、
寝不足のテンション低い状態でか次の日のバイトに向かった。
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